古代において、胆江地方を含む東北地方の居住者は時の中央政府から蝦夷(エミシ)と呼ばれていました。これは当時の中央政権の国家観から、政府の支配が及ばない地域。即ちそこに暮らす人々は未だ未開の存在であるとした蔑んだ呼称です。
蝦夷たちの様子は『日本書紀』などの歴史書にも散見され、いずれも「農耕をしない」「穴ぐらに住んでいる」など、中央の人々からみると、あたかも文化的に劣っているかのような記述が目立ちます。それは、当時の政治的思想や国家戦略からすれば、蝦夷に関してはすべからく否定的な表現になるのでしょう。
ところで、実際の蝦夷の暮らしは概ね農耕・狩猟・漁労などを生業にした生活です。また、胆江地方では7世紀代には、蝦夷の集落が増加傾向にあるので、安定的な社会だったようです。しかも、蝦夷は中央政府に属する人々と交易まで行っており、まさに胆江地方は南北の交易品が集積するような「境界」の地域でもあるようです。
中央政府は政治的には、蝦夷は国家の支配に属さない集団として、文言の上では外敵のような扱いをしていますが、文物の交流面においては良好な関係を保っていたものと考えられます。
いわゆる「ダブルスタンダード」というやつです。
そうした状況も8世紀後半には崩れ、蝦夷と朝廷との衝突、そして鎮守府胆沢城の建置へと及んで、この地域も律令国家の枠組みの中へと編入されます。

こうした時代の中で、古代エミシの暮らしを考察するイベントが奥州市牛の博物館で開催され、当館職員も話者として参加しました。「エミシの衣・食・住」 について考えを述べ合った他、来場者の質問に答える場面などもあり、終始賑やかな催しとなりました。
まだまだ話題が尽きない胆江地方の古代史。第二弾の開催を待ちたいところです。
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江刺地方より「まごころ」をこめて。
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