胆江地方も梅雨入りとなりました。

したがって昨日からぐずついた天気が続いており、気温も肌寒い感じです。

国史跡「胆沢城」を会場に開催されている「あやめ祭り」も生憎の天候ながら、あやめ苑の花は満開。露を湛えた菖蒲もまた趣があり、史跡に彩りを添えています。

さて、この胆沢城は延暦21(802)に創建された城柵です。

およそ1,200年前の中央政府による「対エミシ政策」の前線基地であり、この地域の律令制による行政システムの拠点でもありました。また、建置後は鎮守府の機能も国府多賀城から移されています。即ち胆江地方における平安時代の到来を象徴するのが、この鎮守府胆沢城の存在ということになります。

行政府としての胆沢城の役割は平安時代前期にほぼ限定されますが、形骸化しつつも鎮守府としての権威は以後も残ります。おそらく、11世紀の奥六郡に権勢を振った安倍一族も鎮守府の権威を背景にしていたことでしょう。また、史跡の北側に鎮座する鎮守府八幡宮は中世以降の武家を中心に崇敬を集めたことによって、今日まで活況を呈してきました。

その一方で、かつて胆沢城の外郭を囲っていた高さ約4mにもおよぶ築地塀は、いつしか地域住民の生活道路になりました。いわば、胆沢城跡は地域史における生活遺構でもあるのです。

平安時代における鎮守府胆沢城の実相の解明は、発掘調査など考古学的手法に委ねられますが、地域史の観点から史跡に接することで、より身近に親しみを感じられる存在となるのかもしれません。
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江刺地方より「まごころ」をこめて。

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